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自撮り写真の効能と服を「書く」ということ [雑感]

 スタイリスト山本あきこさんのブログを見ていたら、毎日自分の写真を撮ることがおすすめされていました。SNSにアップなんかしなくていいから、自分を客観的に見るために撮ることがいいと。そこで、私もここ何日か、撮ってみました。

 ブログなんかにアップする写真だと思うと、余計なものが写りこまないよう気を使ったり、カッコつけて何枚も撮ったりしてしまうけど、アップしなくていいなら、ちょっとした隙間時間に一枚撮ればOK。これなら続けられそうな気がします。
 ちょっと変な格好だな思うときもあるけど、客観的に見たらそこそこな格好ができているような気がして、少し気分が良くなります。それに、かっこつけずに、もさーっとしたまま撮った写真の方がよく見える不思議。へんに笑ったり、感じのいい人のフリをする必要って、ないのかな。元気のないときは、元気のないままでいいのかな。

 以前から、写真もアップせずにコーディネイトだとか服のことを書いています。こんなの、読む人は楽しいのか疑わしいのだけれど、書いているのは楽しいです。

 私は、リカちゃん人形で着せ替え遊びをするのが好きでした。中学生になっても遊んでいました。いちじるしく土台のできていない子ども時代だったので、そうやってバランスをとっていたのだと思います。
 不登校中の長い時間、リカちゃんで遊んでいたのですが、とはいっても無尽蔵に着せ替えの服があるわけではありません。手持ちの服を組み合わせ変えたり、ハンカチをドレスにしたり、大変だったので数は作りませんでしたが、手作りもしました。
 今、少ない服で着まわしの服をコーディネイトしていると、あのころと同じだなぁと思います。

 もうひとつ不登校中の楽しみは、本を読むこと。同じ本を繰り返し読みました。その中のひとつ「赤毛のアン」のシリーズには、服の描写が大変多いです。アンほどではありませんが、「大草原の小さな家」のシリーズにも、服のことが書かれています。
 この、写真も挿絵もない服について書かれた文章が、非常に楽しかった。今、私はそれをやっているのだろうと思います。あの頃の私の夢は、アンや大草原シリーズのような物語を書くことでした。こうして毎日の服を書き記すことは、ずっと私のしたかったことなのかもしれません。だからとても楽しいです。

 毎日写真は撮るけれど、私にとってブログは文章だけで服のことを書くのがいいみたいです。アンやローラの着た服の実物が見たいわけじゃなく、その服に関する文章を読むのが楽しかったように。私のしていることは、ファッション雑誌の延長ではなくて、あくまでも「アン」や「大草原」の延長にあるものなのかもしれません。 
 

 
 
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母の新学期ウツ [雑感]

 鬱が酷くなってきました。昨日おとといと、少し躁状態でした。このままほど良い状態になるかと思えたのですが、怒り爆発してしまいました。
 もうすぐ新学期だからだと思います。長年積み重なった新学期へのプレッシャーが、子どもの新学期と言うだけで、再び襲ってきたのです。子どもができたとき、不安だったことのひとつです。ふたたび学校や幼稚園と関わる生活になることが恐ろしかったのです。

 娘の通う幼稚園は、とても良い幼稚園だと思います。他ではなく、この幼稚園でよかったと思います。ただ入園前から知っていたのですが、この幼稚園は親参加型の行事が多いのです。
 頑張って参加してきました。平気なふりをして参加してきました。社交不安障害を克服するには、場数を踏んで慣れることしかない、そのためのチャンスだと思って。
 ほんの少し、他の親御さんと関わっただけで、目が合っただけで、あとからものすごく心が痛い状態になります。新学期になって、また再びあの痛みのある日々が始まるのだと思ってしまいます。

 新年、娘宛に年賀状が2枚届きました。去年も届いたので、私が返事を出したのですが、今年は娘に書かせました。私がつくるのが面倒だったのもありますし、娘が書いた方がいいだろうと思いました。私は文字は教えるつもりはなかったのですが、幼稚園で手紙のやりとりをする遊びが流行っているらしく、娘が興味を覚えたらしいので少しばかり教えました。
 私が怖れていた「勉強」の始まりです。「勉強」って、親が教えなくてはならないのでしょうか、やらせなくてはならないのでしょうか。「やらせなくてはならない」プレッシャーを感じます。なにかもう、刷り込まれているような強いプレッシャーです。

 娘は来年度に年長になります。小学校入学へのカウントダウンも始まります。息子も3年保育にするなら、娘の入学と同時に入園になる年齢差です。息子は2年保育でもいいか・・・と思っていました。でも、3年保育の方がいいような気もします。そんな迷いも生じています。

 もうすぐ新学期。3学期はそれでも行事が少ない方です。参観日が2つくらいと、アルバムづくり。でも、その行事にも、もう参加したくありません。幼稚園に行きたくありません。人に会いたくありません。苦痛です。鬱です。
 これまでは、あの服を着ようなんて考えて楽しみにするようにしていました。でもそれではごまかしがきかなくなってきました。鬱になったら、着るものなんてどうでも良くなってしまうからです。だからこそ逆に、着るもののことを考えます。

 もう3学期は、すべての行事に不参加でもいいんだと思うことにします。バス停に送迎して、お弁当を作るだけでも、充分ではないですか。最低限それさえできていれば、参観しなくても、アルバム作らなくてもいい。娘は字が書けなくても、縄跳びが飛べなくても、自転車に乗れなくてもいい。やらせなくてもいい。
 幼稚園だけでなく、家のことでも、もっと子どもの相手をしなくてもいいはずなんです。四六時中遊んでやらなくてもいい、おやつや食事作りを子どもに急かされるままにやることはない。でもこれができないんです。これができなくて、今日も爆発したんです。

 どうして娘は、四六時中遊んでもらいたがるのか、疲れたからやめると言うだけで、不満たらたらですねるのか。私が毅然としていないからか。どうして、はっきりきっぱり目を見て力を込めていっているのに、ひかないのか。もう疲れたよ、鬱なんだよ、頼むから休ませて。そう言っても聞かない娘。不満とスネとゴネ、こんな子どもにしてしまったのは私のせいか。遊ぶ時も、命令したり意地悪したりが目立つ娘、こんな子どもにしてしまったのは私のせいか。
 ああ、鬱。





 
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「相棒」さようなら・・・。 [雑感]

 昨年11月くらいから、このブログを再開して、12月はずいぶんたくさん記事を書きました。こんなに更新速度が上がった理由で思い当たるのは、余暇にやっていたこと二つをやめたことです。
 ひとつは、かなりはまっていたネットゲームをやめたこと。モバゲーのパズルゲームにはまっていたんです。特にやめる気はなく、今もやめたつもりもないのですが、ちょっと忙しくしていてやらなかったら、ちょうど飽きがきていた時期と重なって、やらなくなってしまいました。また始めたら、はまっちゃうかも。

 もうひとつは、大好きだったドラマ「相棒」を見るのをやめたこと。夫がさして「相棒」を見ないことから、夜の放送はあまり見なくなっていましたが、再放送を録画して子どもたちが寝た隙に、「相棒」を見ながらお茶するのが楽しみでした。

aibou1.jpg

 そんな頃に描いた絵がでてきたので、アップしてみます。思えば、カイト君のどんでん返しの最終回もまだ見ていなかった・・・。この絵を描いた頃は、カイト君がもう見れないなんて!と思いながら描いたのだっけ。いつかカイト編の最終回も、見るだろうとも思っていたのだけど。
 亀山さんの頃から大好きで、ミッチーの神戸君も好きだったし、ソリさんの冠城さんも悪くないじゃん・・・と思い始め、「相棒」のない暮らしなんか考えられなかったのに。しばらく見るのお休みしていたせいで、見ていないお話いっぱいある!と楽しみにしていたのに。

 それなのに、見るのをやめてしまいました。見れなくなってしまったと言った方がいいかもしれません。現実に、ドラマ以上の事件がありました。私はもう、フィクションをフィクションとして、楽しめなくなってしまったのです。
 さっき、夫がテレビで映画を見ていました。バイオレンスシーンがありました。一瞬も見ていられない気持ちになって、逃げてきました。
 大好きだったサスペンスドラマ、ミステリードラマ、もう見られなくなっちゃったんだなと寂しく思います。それと同時に、これでよかったんだとも思います。またいつか、見る気持ちになるでしょうか。ならないような気がしています。思いがけない別れだったけれど、決別したんだと思います。右京の前から相棒たちが姿を消すのにも重なって、感傷的になります。

 杉下さんたち、「相棒」の登場人物たちが大好きでした。私はミステリーやサスペンスドラマが好きでしたが、謎解きなどにはあまり意識は向かわず、ただ事件が解決して、ほのぼのしたり、しんみりしたり、考えさせられたり、くすっと笑えたりするエピローグが見たくて、見ていたような気がします。
 「相棒」は長らく私の生活の相棒でした。これからだってそうだったはずなのに。まさかこんな別れがくるなんて、思いもしなかった。でも、さよならです。ありがとう「相棒」。




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大学病院にて~今日のコーデと思うこと~ [雑感]

 ちーさんの目の定期健診のため、大学病院へ行ってきました。幸いにも地元に大学病院があります。るーさんが自転車に乗れるようになってからは、自転車で行くようになりました。それまでは、二人子連れのベビーカーとバスでの移動が大変だった・・・。

 今日の私のコーデは、ワイドパンツ。紺のワイドパンツに、トップスは重ね着。白のオックスフォードシャツに紺のカーディガン。白シャツの中に、濃緑の風呂敷スカーフを入れました。靴下は、杢赤。長いパンツなので見えないつもりでしたが、自転車に乗るから結構見えたね。靴は灰色のコンバースで、灰色のベレー帽をかぶりました。上着はGジャン。

 今日は、めちゃめちゃ待ち時間が長かったです。待合で長く待っていると、人の服とかつい見ちゃいますよね。みなさんオシャレだなー。こうしてじっくり見れば、すごくオシャレなんだけど、病院ですから地味な色合いが多いですよね。黒や紺ばかりです。私もほぼ紺だったし。オシャレはTPOですなー。
 でも以前、すごく華やかで流行ど真ん中なドレスの若い女の子が、お友達とはしゃぎながら行くのに出会いました。病院という場所柄には非常に異質にみえたのだけれど、ひょっとしたら・・・退院日だったのかな?すっごい、すっごい、嬉しかったんだろうなー。

 帰り道、駐輪場へ行く横断歩道で、警備員さんが車を止めてくれました。車を待たせているし、急いで渡らなければと思い、「いそいでー!」とるーさんをせかしたら、「ゆっくりでいいんだよ!」と警備員さんに言われました。
 街中のこういう場面であれば、とっとと渡って然るべしという雰囲気を感じるし、「ゆっくりどうぞ」と言われたらそれは厚意で大目に見てもらっているという感じがします。でもここは病院。お年寄りや病気の人が渡る横断歩道です。「弱者ファースト」が、当然のこととして行われているんだと思いました。

 こうして大きな病院へ行くと、普段は思わないことを感じます。大きな病院ですから、重い患者さんもいることでしょう。幸いちーさんは健康に関わる症状で通っているわけではありません。子連れでの長い待ち時間など、大変と思うこともありますが、家族の健康に感謝するとともに、貴重な機会を頂いているような気がします。次の予約は来春です。




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母がいないとタケノコのアクも上手くぬける [雑感]

 夫の親戚からタケノコを頂きました。夫がアク抜きをしてくれますが、以前頂いたときは、エグみが上手く抜けないまま料理しました。私と母は、タケノコってこんなもんだろうとバリバリ食べていたのですが、たいていのものはなんでも食べるはずの夫は食べられず・・・。

 今年は、私の母が留守です。3本のタケノコを、やっぱり夫が下茹でしてくれました。そして、めんどくさがりの私はお湯につけたまま放置。水につけるほどアクが抜けるらしいので、気温がさほど高くないのをいいことに、使うだけ出して調理し、使わないものはそのままにしていました。それがよかったのか、今年はエグみもなく美味しく頂きました。

 思えば、せっかちの母がいると、さっさと水から出して、早く料理しろのプレッシャーが強い。もしくはさっさと母が調理したものを食べるハメになる。いや言い方悪いですが、タケノコに限らず母の料理は非常に・・・。
 そんなアク抜きの待てない母の作ったタケノコ料理に慣れていた私は、タケノコなんてこんなもんと思って食べていたのですね。
 毒親家庭に育つと、それが当たり前なので、疑問も持たないで毒にあてられっぱなしになるのに似ています。

 美味しくできたタケノコ料理は、普通の煮物と、塩炒め、カレー炒め、メンマの4種でした。でも、子どもたちはほとんど食べなかったです。なにしろちーさんは、新しいもの珍しいものが苦手、食べてくれるとは期待していませんでしたよ・・・。

 そして最後のメンマを作って冷蔵庫に入れ、GWに突入。ゴールデンウィーク早々に夫の実家へ帰省し、そして自宅に帰ると、再びタケノコ3本が届いていました。
 お気持ちはとっても嬉しいんです。でも疲れて帰って、再びタケノコ3本を調理することを考えると厳しかった。夫が下茹でしてくれるとはいえ、子どもたちが食べない料理を1週間くらい作り続けなくてはならないわけで、ちょっと涙出る。

 母がいれば、顔の広い母があげたい人に差し上げるところですが、ひきこもりの私に近所づきあいなどあるわけもなく。そこで夫の同意を得て、玄関先にご自由にお持ちくださいの張り紙とともに出しておきました。するとほどなく、小学生の一団が通りかかりワイワイやっていたかと思うと、数時間後にタケノコはきれいに消えておりました。夫はちょっと残念そうだったので、悪かったなと思いましたが・・・ゴメン、めっちゃ疲れてたの。

 思えば、この「ご自由にお持ちください」に私は憧れていました。仏教の言葉で「喜捨」というのがあるそうです。改めて意味を調べてみたら、いろいろ意味があるようなのですが。
 私は四国の遍路道近くに住む人が、お遍路さんのためにちょっとした食べ物や休憩場所を提供することを日常的にやっているということと、「喜捨」という言葉を結び付けて覚えていました。

  今回の帰省では、事故もなく、子どもたちも元気で無事帰ってくることができました。それだけでも感謝です。その感謝の気持ちを込めて、憧れの「喜捨」をさせてもらいました。
 母がいないと、アク抜きも上手くいき、顔も知らない人にお裾分けという夢も叶ったという話でした。


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私の歩きたいアラフィフへの道 [雑感]

 街中で、すごく素敵な女性を見ました。50代前後と思われる優しげなご婦人で、きれいでオシャレな服装をなさっていました。ファッション指南の本から抜け出てきたみたいでした。
 ちーさんとるーさんをママチャリに乗せて爆走中だったので、本当に一瞬目に入っただけですが、あまりに素敵だったので印象に焼きつきました。けれど、何か心に引っかかるものがあったせいかもしれません。この違和感はなんだろうと、しばらく考えていました。

 私は今41歳。おしゃれも楽しい。アラフィフでおしゃれな着こなしをしている女性は、当然目指すべき存在のはず・・・。でも、果たして私は10年後、そうなっていたいのだろうか?そう考えたとき、おしゃれよりフォーカスすべきものがあると感じました。

 小さい子どもを育てている今、目の前に次々現れる課題をこなしていくのが精一杯な毎日。つつがなく毎日が回っていくように、物を減らし、家事を考える。
 けれど10年後、今より子どもたちに手がかからなくなったら。私はどうなりたいんだろう。

 私が「ミニマリズム」の考え方に出会ったのは、ファッションブログを読みあさっていたときでした。
 ファッションってなんて楽しいんだろう、しみじみ思います。でも、久しぶりに40代ファッションのブログランキングを見ていて思いました。私の行きたいところはここじゃないみたい。
 ミニマリズムの「ミニマル」とは、自分にとって本当に大切なもの以外をそぎ落としていくこと。そうすることで、大切なものをより大切にできる。自分にとって大切なものとは何か、それを知らなければ。

 おしゃれは本当に楽しくて、わくわくします。だからこれからも楽しんでいきます。でも50代になる頃には、もう少し別の境地にいたい。
 今はまだ、おしゃれなどせずひきこもっていた若い頃の思い残しを、満たしたいのだと思います。けれどあと10年、50代になる頃には、へんな言い方ですが、オシャレであることにもう少し無頓着になっていたい。ファッションやオシャレであることに、もう少し距離をおきたい。断捨離の「離」です。
 素敵に見られたい、カッコよく見られたい見栄、他人にどう見られるかを気にする他人軸の考え方、そんなものから自由になっていたい。流行も、他人の目線もどこ吹く風で、生きていきたい。

 私の目指すのは、そんな50代なのかもしれません。だからこそ今は、若い頃の思い残しに向き合いつつ、しっかりオシャレを楽しみたいと思います。そうやって楽しんで行くのが、服装に頓着しない50代への道のような気がするからです。


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靴とココロの関係 [雑感]

 失敗したかもしれません。そう思って、悲しくなりました。
 足幅が狭く、パンプスの履けない私ですが、ついに憧れの靴を買ってしまいました。普段の私からしたら、べらぼうに高い買い物でした。ネットショッピングでセミオーダーのその靴が、出来上がってもうじき届くのです。
 でも、改めて注文を見たら、ちょっと幅狭すぎない???これ、届いてもはけないんじゃない???

 甲低幅狭足で、合う靴がないこと。それは私にとってコンプレックスと言えるかもしれません。
 外へ出るための「靴」というアイテム、私にとっては象徴的な意味を持つのかもしれないと思います。
 合う靴がないから外に出られないという、ひきこもりの私の言い訳。合う靴があれば外に出られるのかも、普通の人と同じように振舞えるのかもという、根拠のない期待。
 だから私は靴を買ってしまうのです。

 今回、驚くほど高い靴を買ったのは、外に出て行きたいという希望の故かもしれません。そしてサイズ選びに失敗したのは、外に出ることへの怖れの故。無意識に履けない靴を選んだのです。
 せっかく外に出る気持ちになったのに、まだまだこんなに恐れがあったとは。悲しいです。でもそれはまだ、過渡期だと言うだけのこと。

 靴が届いて、履けなかったら伸ばしてもらえるらしいし、作り直しもしてもらえるらしい。お金は倍かかるかもしれないけど・・・。必要経費かもしれない。足のためでもあるし、心のためでもある。
 一方で、「靴」に象徴的な意味を持たせすぎているとも思います。合う靴がなくても、恐れを克服することはできるはず。靴を言い訳にしないで、靴は靴に過ぎないのだから。いくら靴をそろえても、対人恐怖や社交不安がなくなるわけではない。

 とくに「パンプス」という靴は、私にとって、ちゃんと社会生活できている女性のイメージです。パンプスを履きこなす女性=社会に適応している女性というイメージを、あの靴に投影しているのです。だから、パンプスに憧れ、パンプスが履きたかった。
 結婚して、子どもを生んで育てて、やむにやまれず外に出るようになり、ほんの少し自信がついたのかもしれません。次のステップは、もっと社会に適応したいということ。堂々と自信を持って、大人の女性として。
 でも、物じゃないんだよ。パンプスを履いてなくても、ちゃんと社会に適応した大人の女性になることはできるし、パンプスが履けたからってそうであるとも限らない。すべては私のイメージ、私が意味づけているに過ぎないのです。

 靴の悩みから自由になりたい。
 外に出掛けること、人と関わることへの恐れから、自由になりたい。
 少し前に社交不安についての本を買いました。
 


 ひきこもるという「回避行動」を、なるべく少なくしていこう。
 「買う」という行動をした自分を認めよう。たとえ失敗という経験であっても、買わないという「回避」をしなかった自分を認めよう。あの高い靴を買うことは、私にとっては少なからず社会に適応したいという夢であり勇気だったのだから。
 ちなみに今回の買い物、自分の貯金から出しました。昔、ほんの少しやったアルバイト代、ほとんど使わず貯めていました。靴のサイズが合おうが合うまいが、この経験が良いものとなりますように。すでにいろいろ気づかせてもらいました。

 
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買い物注意報! [雑感]

 昨日の記事を書き、だいぶ鬱状態から上がれたので、再び下がってはいけないと、あちこち片付けたり掃除をしたりしました。

 ちーさんが動き回れるようになって以来、キッチンの開き扉の中にあった米びつを、高い位置においていました。できれば普段は見えないところにおきたいのだけどやむをえず。そして今は、るーさんがいたずら盛りです。
 るーさんのいたずらといえば、コンロ横の小引き出しに手が届くようになり、塩やらコショウやら、時にはカレー粉をぶちまけたり、いろいろやらかしてくれるので、調味料も食器棚に移していました。ちーさんは、それはしなかったので、小引き出しはノーマークだったのね。
 そこで食器棚の段組みを変え、調味料の定位置を作り、米びつも収めました。食器棚の総量が減っていたので、米びつも入りました。しばらくこれで使ってみます。

 掃除も、近頃行き届かないなぁと思っていました。チョコチョコついで掃除を心がけるようにはし始めましたが、意識と習慣の改革は一朝一夕にはいきませんね。
 あと、どうしても散らかるホットスポットの整理整頓がうまくいっていません。子どものおもちゃ関係はともかくとして・・・。幼稚園関係の書類と、裁縫道具や救急箱、ドライバーなどの道具箱、ガムテープや紐なんかを入れている棚があるのですが・・・ここがよろしくない。裁縫道具に関しては、定位置が定まらず、あちこちにおいてあります、要改善。
 
 いろいろやることはあるのですが。
 欝っぽいとき、注意すべきなのは買い物。手っ取り早く気分が上がる、買い物という行為をしてしまいがちです。以前から、いくつか必要なものはあったのですが、それを皮切りにネットショッピングに走ってしまいそう!
 必要度が高いのは、私の下着の買い替え。暖かくなってきたので、子ども用の薄手のパジャマが気になりはじめました。ちーさんの夏用のパンツももう一枚・・・水着も新調しないといけないかな・・・そんなものをネットで探していると、目に付くかわいい子供服。
 子供服ってかわいいじゃないですか。もう基本的に、小さいというだけでかわいい。お値段も安いものからある。テンション上がっちゃうんですよね・・・。自分のものだったら、かろうじて我慢できても、子どものものだと、必要かも?あってもいいかも?となってしまう。
 ああああああ・・・
 ショッピングサイトから目を離すために、今日もブログを書きました。
 でも、見ていると楽しいよ・・・欝の頭にはちょうどいい癒しだよ・・・危険、危険。掃除でもしようかな・・・。



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イースターに鬱になる~許すということ~ [雑感]

 私は春が苦手です。春になると鬱がひどくなります。
 でも、今年は母がいないので、例年になく調子がよく、意気揚々としていました。(思い返せば、多少のだるさはあったので、ここ一週間は外出をほとんどしていませんでしたが。)
 しかし、思いがけずにガツンとやられる出来事があり、それをきっかけにグーッと落ち込んでいます。でも、落ち込んでも、生きていかなければならないことには変わりないのですよね。一人のときとちがって、子どもがいると、絶対に死ねないというのがあるので、鬱をやり過ごしていかなければなりません。

 こういうとき、いざとなったら精神科を頼ればいいと思っていましたが、昨年の夏に受診してけんもほろろに投薬を断られて以来、あそこは頼れないんだなと失望にも似た気持ちを感じます。だからこそ、穏便に無難に、この鬱状態を乗り切るすべを身につけたいと思います。
 新学期になって、幼稚園からこまごまとした用事を言い付かりますし、今週は子どもたちを連れて行かなければならないところがあります。うつ状態の濃度を薄めて、やっていかなくてはならないのです。

 今までは、鬱が訪れると、自らその波に飛び込んでみたり、自ら掘り進んでみたりしていたような気がします。そうすることで解決しようとしていたのだと思いますが、その方法ではうまくいきませんでしたし、そのやり方は周囲への被害をもたらします。
 なんと言っても、今は母がいないのです。これは、私がイラつく回数が劇的に減ることを意味していますし、穏便にやり過ごすやり方を身につけるには最適だと思います。

 「鬱の状態は過ぎ去る」「鬱をやり過ごすことは可能だ」
 私が今、自分に言い聞かせていることはこれです。今までは、がっぷり四つに組みすぎました。
 私は、パニくりやすく、おっちょこちょいをしてしまうことが多いです。一方で、ボーっとリラックスしすぎて、すべきことを忘れてしまったり、優先順位がまちがってしまうことがあります。念には念を入れても、抜けてしまうこともあります。私はミスをするのです。
 そのきっかけとなる出来事も、私のミスが原因です。ミスをしたとき、またそれが他人の気分を害したとき、私は落ち込みます。完膚なきまでに叩きのめされます。でもたぶん普通なら、すり傷くらいですむはずの出来事ではないでしょうか。

 人間生きているとミスはするし、すり傷もできるのです。他人に迷惑をかけてしまったり、気分を害してしまうことだって、あるのです。
 それを、私は大げさにとらえすぎるのです。

 私がこのようなまちがった認知を獲得するに至ったのは、発達障害の母のせいかもしれません。母は、おかしな人です。けれど、母以外の他の人は、どんなに完璧な人でしょうか。私が今回迷惑をかけ、気分を害されたその人も、おかしな人といえばおかしな人なのです。実は今回の件には、以前にも似たようなことがあった出来事でした。その以前の件で登場した人物も、おかしな人といえばおかしな人です。全然、完璧な人ではありません。完璧な人なんていないんだ。今回のことで、その当たり前の事実に、はっきりと気づいたのです。ひとつ、認知が正された瞬間です。 
 私は母がいびつな人間だと思っていました。だから、母に育てられた私もいびつなのだと。でも、今回の件の人も、前回の人も、皆いびつではありませんか。

 私はミスをします。ミスをすることに感謝したいと思います。人は、まちがいをするから、許し合うことを学べるのではないか。そう思ったのです。もしも、私が完璧でまちがわない人間だったら、他の人と許し合うことができないからです。私もまちがいを許し、私のまちがいも許される、そういう経験ができること、それが不完全な人間であることの意味なのですね。だから私たちは、みな不完全でいびつな、まちがいをする人間として生まれるのかもしれません。

 私がミスをして、人に迷惑をかけたり、人の気分を害してしまったら、許される経験をする機会だと思って感謝しましょう。
 私が誰かの言動に腹が立ったら、これは許す経験をするチャンスが現れたと思って、喜びましょう。許し多分だけ、許されるのだとしたら、許すチャンスがいっぱいあったほうが貯金できます。だから、腹の立つ出来事にめぐり合うのは、ラッキーです。
 ということは、私がミスをして誰かの気分を害してしまったら、その相手にも許し貯金をする機会を与えているということになるではありませんか。そう考えれば、生きていくのがイヤになるほど胸を痛めなくてもいいと思えるかも。

 先週は、イースターウィークでした。イースターは、イエス・キリストの復活を祝う日です。「許し」はイエスの重要な教えでした。許し合う経験をすること、それがこの世に生まれた意味かもしれないと思いました。



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行動したい春 [雑感]

 子どもとの関わりが上手く回っているとかんじられるようになりました。母のいないせいかもしれません。   そこで気持ちのゆとりが出てきたのか、ファッションを楽しんでいます。一方で、着ることばかりにエネルギーを向けているのもいかがなものかという気持ちも湧いています。何か、もっと意味のあることにエネルギーを振り向けたい。ファッションを楽しむことは、今余っているエネルギーの2割もあれば充分な気がします。

 私のエネルギーの配分を分析してみます。あくまで、「私の感じるところの」であります。
 70%は、子どもたちのこと。(うち6割は幼稚園関係をつつがなく済ますこと)
 10%は、夫と過ごす時間。
 10%は、掃除、洗濯、食事作りなどの家事。
 10%は、ブログ書きや、テレビを見たり、編み物手芸にイラスト、おしゃれするなど。

 つまり、最後の10%の内訳を、より豊かにしたいということなのです。
 2%は、ファッションのこと。
 2%は、テレビを見たい。テレビ大好きなので。
 ブログ書きやイラストに費やすエネルギーを増やして、何か意味あることができないかなぁと思っています。かといって、私に書けることといえば、こんな程度のことだし。
 絵を描く方面でも、私に描けるものといえばプリキュアくらい。ちらっと育児漫画を始めたものの続かないし。ちーさんにせがまれて描いたプリキュアも、4人で打ち止め。ネットにアップしたところで、意味があるとも思えない。
 書きたい、描きたい気持ちを活かして、何かしたいんだけどな。

 でも、書くことや描くことの落とし穴は、他人の評価が気になってしまうことなのよね。私はすぐ、この穴に落ちる。
 私の考える「意味あること」ってなんだろう。そりゃ、人に高く評価されたり、喜んでもらえたら、意味あるような気がするよね。でも、それって他人軸じゃない?
 自分を軸にすると、「意味あること」ってなんだろう。自分が良い気分になったり、幸福感を感じることも「意味あること」だね。私にとってのファッションを楽しむことの意義はこれです。
 何かを学んでインプットすることは、ストレートに「意味あること」だけど、今は絵や文章を使ってアウトプットしたい。受け取りたいのではなく、与えたいというか。出したい。

 私が持っている、与えるに値するものってなんだろう。
 まがりなりにも、長いこと絵を描いてきたので、全く描いたことのない人よりは描ける。
 まがりなりにも、ブログをいくつか書いてきた。このブログも、一応ではあるけれど100記事は越えた。
 今までだったら、私程度にできる人はいくらでもいると思って、諦めるところだけど、それより何より今は、出したい気持ちが強い。自分を励まして、行動を起こしたい。
 そんな気持ちになっている春です。



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