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母がいないとタケノコのアクも上手くぬける [雑感]

 夫の親戚からタケノコを頂きました。夫がアク抜きをしてくれますが、以前頂いたときは、エグみが上手く抜けないまま料理しました。私と母は、タケノコってこんなもんだろうとバリバリ食べていたのですが、たいていのものはなんでも食べるはずの夫は食べられず・・・。

 今年は、私の母が留守です。3本のタケノコを、やっぱり夫が下茹でしてくれました。そして、めんどくさがりの私はお湯につけたまま放置。水につけるほどアクが抜けるらしいので、気温がさほど高くないのをいいことに、使うだけ出して調理し、使わないものはそのままにしていました。それがよかったのか、今年はエグみもなく美味しく頂きました。

 思えば、せっかちの母がいると、さっさと水から出して、早く料理しろのプレッシャーが強い。もしくはさっさと母が調理したものを食べるハメになる。いや言い方悪いですが、タケノコに限らず母の料理は非常に・・・。
 そんなアク抜きの待てない母の作ったタケノコ料理に慣れていた私は、タケノコなんてこんなもんと思って食べていたのですね。
 毒親家庭に育つと、それが当たり前なので、疑問も持たないで毒にあてられっぱなしになるのに似ています。

 美味しくできたタケノコ料理は、普通の煮物と、塩炒め、カレー炒め、メンマの4種でした。でも、子どもたちはほとんど食べなかったです。なにしろちーさんは、新しいもの珍しいものが苦手、食べてくれるとは期待していませんでしたよ・・・。

 そして最後のメンマを作って冷蔵庫に入れ、GWに突入。ゴールデンウィーク早々に夫の実家へ帰省し、そして自宅に帰ると、再びタケノコ3本が届いていました。
 お気持ちはとっても嬉しいんです。でも疲れて帰って、再びタケノコ3本を調理することを考えると厳しかった。夫が下茹でしてくれるとはいえ、子どもたちが食べない料理を1週間くらい作り続けなくてはならないわけで、ちょっと涙出る。

 母がいれば、顔の広い母があげたい人に差し上げるところですが、ひきこもりの私に近所づきあいなどあるわけもなく。そこで夫の同意を得て、玄関先にご自由にお持ちくださいの張り紙とともに出しておきました。するとほどなく、小学生の一団が通りかかりワイワイやっていたかと思うと、数時間後にタケノコはきれいに消えておりました。夫はちょっと残念そうだったので、悪かったなと思いましたが・・・ゴメン、めっちゃ疲れてたの。

 思えば、この「ご自由にお持ちください」に私は憧れていました。仏教の言葉で「喜捨」というのがあるそうです。改めて意味を調べてみたら、いろいろ意味があるようなのですが。
 私は四国の遍路道近くに住む人が、お遍路さんのためにちょっとした食べ物や休憩場所を提供することを日常的にやっているということと、「喜捨」という言葉を結び付けて覚えていました。

  今回の帰省では、事故もなく、子どもたちも元気で無事帰ってくることができました。それだけでも感謝です。その感謝の気持ちを込めて、憧れの「喜捨」をさせてもらいました。
 母がいないと、アク抜きも上手くいき、顔も知らない人にお裾分けという夢も叶ったという話でした。


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私の歩きたいアラフィフへの道 [雑感]

 街中で、すごく素敵な女性を見ました。50代前後と思われる優しげなご婦人で、きれいでオシャレな服装をなさっていました。ファッション指南の本から抜け出てきたみたいでした。
 ちーさんとるーさんをママチャリに乗せて爆走中だったので、本当に一瞬目に入っただけですが、あまりに素敵だったので印象に焼きつきました。けれど、何か心に引っかかるものがあったせいかもしれません。この違和感はなんだろうと、しばらく考えていました。

 私は今41歳。おしゃれも楽しい。アラフィフでおしゃれな着こなしをしている女性は、当然目指すべき存在のはず・・・。でも、果たして私は10年後、そうなっていたいのだろうか?そう考えたとき、おしゃれよりフォーカスすべきものがあると感じました。

 小さい子どもを育てている今、目の前に次々現れる課題をこなしていくのが精一杯な毎日。つつがなく毎日が回っていくように、物を減らし、家事を考える。
 けれど10年後、今より子どもたちに手がかからなくなったら。私はどうなりたいんだろう。

 私が「ミニマリズム」の考え方に出会ったのは、ファッションブログを読みあさっていたときでした。
 ファッションってなんて楽しいんだろう、しみじみ思います。でも、久しぶりに40代ファッションのブログランキングを見ていて思いました。私の行きたいところはここじゃないみたい。
 ミニマリズムの「ミニマル」とは、自分にとって本当に大切なもの以外をそぎ落としていくこと。そうすることで、大切なものをより大切にできる。自分にとって大切なものとは何か、それを知らなければ。

 おしゃれは本当に楽しくて、わくわくします。だからこれからも楽しんでいきます。でも50代になる頃には、もう少し別の境地にいたい。
 今はまだ、おしゃれなどせずひきこもっていた若い頃の思い残しを、満たしたいのだと思います。けれどあと10年、50代になる頃には、へんな言い方ですが、オシャレであることにもう少し無頓着になっていたい。ファッションやオシャレであることに、もう少し距離をおきたい。断捨離の「離」です。
 素敵に見られたい、カッコよく見られたい見栄、他人にどう見られるかを気にする他人軸の考え方、そんなものから自由になっていたい。流行も、他人の目線もどこ吹く風で、生きていきたい。

 私の目指すのは、そんな50代なのかもしれません。だからこそ今は、若い頃の思い残しに向き合いつつ、しっかりオシャレを楽しみたいと思います。そうやって楽しんで行くのが、服装に頓着しない50代への道のような気がするからです。


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靴とココロの関係 [雑感]

 失敗したかもしれません。そう思って、悲しくなりました。
 足幅が狭く、パンプスの履けない私ですが、ついに憧れの靴を買ってしまいました。普段の私からしたら、べらぼうに高い買い物でした。ネットショッピングでセミオーダーのその靴が、出来上がってもうじき届くのです。
 でも、改めて注文を見たら、ちょっと幅狭すぎない???これ、届いてもはけないんじゃない???

 甲低幅狭足で、合う靴がないこと。それは私にとってコンプレックスと言えるかもしれません。
 外へ出るための「靴」というアイテム、私にとっては象徴的な意味を持つのかもしれないと思います。
 合う靴がないから外に出られないという、ひきこもりの私の言い訳。合う靴があれば外に出られるのかも、普通の人と同じように振舞えるのかもという、根拠のない期待。
 だから私は靴を買ってしまうのです。

 今回、驚くほど高い靴を買ったのは、外に出て行きたいという希望の故かもしれません。そしてサイズ選びに失敗したのは、外に出ることへの怖れの故。無意識に履けない靴を選んだのです。
 せっかく外に出る気持ちになったのに、まだまだこんなに恐れがあったとは。悲しいです。でもそれはまだ、過渡期だと言うだけのこと。

 靴が届いて、履けなかったら伸ばしてもらえるらしいし、作り直しもしてもらえるらしい。お金は倍かかるかもしれないけど・・・。必要経費かもしれない。足のためでもあるし、心のためでもある。
 一方で、「靴」に象徴的な意味を持たせすぎているとも思います。合う靴がなくても、恐れを克服することはできるはず。靴を言い訳にしないで、靴は靴に過ぎないのだから。いくら靴をそろえても、対人恐怖や社交不安がなくなるわけではない。

 とくに「パンプス」という靴は、私にとって、ちゃんと社会生活できている女性のイメージです。パンプスを履きこなす女性=社会に適応している女性というイメージを、あの靴に投影しているのです。だから、パンプスに憧れ、パンプスが履きたかった。
 結婚して、子どもを生んで育てて、やむにやまれず外に出るようになり、ほんの少し自信がついたのかもしれません。次のステップは、もっと社会に適応したいということ。堂々と自信を持って、大人の女性として。
 でも、物じゃないんだよ。パンプスを履いてなくても、ちゃんと社会に適応した大人の女性になることはできるし、パンプスが履けたからってそうであるとも限らない。すべては私のイメージ、私が意味づけているに過ぎないのです。

 靴の悩みから自由になりたい。
 外に出掛けること、人と関わることへの恐れから、自由になりたい。
 少し前に社交不安についての本を買いました。
 


 ひきこもるという「回避行動」を、なるべく少なくしていこう。
 「買う」という行動をした自分を認めよう。たとえ失敗という経験であっても、買わないという「回避」をしなかった自分を認めよう。あの高い靴を買うことは、私にとっては少なからず社会に適応したいという夢であり勇気だったのだから。
 ちなみに今回の買い物、自分の貯金から出しました。昔、ほんの少しやったアルバイト代、ほとんど使わず貯めていました。靴のサイズが合おうが合うまいが、この経験が良いものとなりますように。すでにいろいろ気づかせてもらいました。

 
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買い物注意報! [雑感]

 昨日の記事を書き、だいぶ鬱状態から上がれたので、再び下がってはいけないと、あちこち片付けたり掃除をしたりしました。

 ちーさんが動き回れるようになって以来、キッチンの開き扉の中にあった米びつを、高い位置においていました。できれば普段は見えないところにおきたいのだけどやむをえず。そして今は、るーさんがいたずら盛りです。
 るーさんのいたずらといえば、コンロ横の小引き出しに手が届くようになり、塩やらコショウやら、時にはカレー粉をぶちまけたり、いろいろやらかしてくれるので、調味料も食器棚に移していました。ちーさんは、それはしなかったので、小引き出しはノーマークだったのね。
 そこで食器棚の段組みを変え、調味料の定位置を作り、米びつも収めました。食器棚の総量が減っていたので、米びつも入りました。しばらくこれで使ってみます。

 掃除も、近頃行き届かないなぁと思っていました。チョコチョコついで掃除を心がけるようにはし始めましたが、意識と習慣の改革は一朝一夕にはいきませんね。
 あと、どうしても散らかるホットスポットの整理整頓がうまくいっていません。子どものおもちゃ関係はともかくとして・・・。幼稚園関係の書類と、裁縫道具や救急箱、ドライバーなどの道具箱、ガムテープや紐なんかを入れている棚があるのですが・・・ここがよろしくない。裁縫道具に関しては、定位置が定まらず、あちこちにおいてあります、要改善。
 
 いろいろやることはあるのですが。
 欝っぽいとき、注意すべきなのは買い物。手っ取り早く気分が上がる、買い物という行為をしてしまいがちです。以前から、いくつか必要なものはあったのですが、それを皮切りにネットショッピングに走ってしまいそう!
 必要度が高いのは、私の下着の買い替え。暖かくなってきたので、子ども用の薄手のパジャマが気になりはじめました。ちーさんの夏用のパンツももう一枚・・・水着も新調しないといけないかな・・・そんなものをネットで探していると、目に付くかわいい子供服
 子供服ってかわいいじゃないですか。もう基本的に、小さいというだけでかわいい。お値段も安いものからある。テンション上がっちゃうんですよね・・・。自分のものだったら、かろうじて我慢できても、子どものものだと、必要かも?あってもいいかも?となってしまう。
 ああああああ・・・
 ショッピングサイトから目を離すために、今日もブログを書きました。
 でも、見ていると楽しいよ・・・欝の頭にはちょうどいい癒しだよ・・・危険、危険。掃除でもしようかな・・・。



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イースターに鬱になる~許すということ~ [雑感]

 私は春が苦手です。春になると鬱がひどくなります。
 でも、今年は母がいないので、例年になく調子がよく、意気揚々としていました。(思い返せば、多少のだるさはあったので、ここ一週間は外出をほとんどしていませんでしたが。)
 しかし、思いがけずにガツンとやられる出来事があり、それをきっかけにグーッと落ち込んでいます。でも、落ち込んでも、生きていかなければならないことには変わりないのですよね。一人のときとちがって、子どもがいると、絶対に死ねないというのがあるので、鬱をやり過ごしていかなければなりません。

 こういうとき、いざとなったら精神科を頼ればいいと思っていましたが、昨年の夏に受診してけんもほろろに投薬を断られて以来、あそこは頼れないんだなと失望にも似た気持ちを感じます。だからこそ、穏便に無難に、この鬱状態を乗り切るすべを身につけたいと思います。
 新学期になって、幼稚園からこまごまとした用事を言い付かりますし、今週は子どもたちを連れて行かなければならないところがあります。うつ状態の濃度を薄めて、やっていかなくてはならないのです。

 今までは、鬱が訪れると、自らその波に飛び込んでみたり、自ら掘り進んでみたりしていたような気がします。そうすることで解決しようとしていたのだと思いますが、その方法ではうまくいきませんでしたし、そのやり方は周囲への被害をもたらします。
 なんと言っても、今は母がいないのです。これは、私がイラつく回数が劇的に減ることを意味していますし、穏便にやり過ごすやり方を身につけるには最適だと思います。

 「鬱の状態は過ぎ去る」「鬱をやり過ごすことは可能だ」
 私が今、自分に言い聞かせていることはこれです。今までは、がっぷり四つに組みすぎました。
 私は、パニくりやすく、おっちょこちょいをしてしまうことが多いです。一方で、ボーっとリラックスしすぎて、すべきことを忘れてしまったり、優先順位がまちがってしまうことがあります。念には念を入れても、抜けてしまうこともあります。私はミスをするのです。
 そのきっかけとなる出来事も、私のミスが原因です。ミスをしたとき、またそれが他人の気分を害したとき、私は落ち込みます。完膚なきまでに叩きのめされます。でもたぶん普通なら、すり傷くらいですむはずの出来事ではないでしょうか。

 人間生きているとミスはするし、すり傷もできるのです。他人に迷惑をかけてしまったり、気分を害してしまうことだって、あるのです。
 それを、私は大げさにとらえすぎるのです。

 私がこのようなまちがった認知を獲得するに至ったのは、発達障害の母のせいかもしれません。母は、おかしな人です。けれど、母以外の他の人は、どんなに完璧な人でしょうか。私が今回迷惑をかけ、気分を害されたその人も、おかしな人といえばおかしな人なのです。実は今回の件には、以前にも似たようなことがあった出来事でした。その以前の件で登場した人物も、おかしな人といえばおかしな人です。全然、完璧な人ではありません。完璧な人なんていないんだ。今回のことで、その当たり前の事実に、はっきりと気づいたのです。ひとつ、認知が正された瞬間です。 
 私は母がいびつな人間だと思っていました。だから、母に育てられた私もいびつなのだと。でも、今回の件の人も、前回の人も、皆いびつではありませんか。

 私はミスをします。ミスをすることに感謝したいと思います。人は、まちがいをするから、許し合うことを学べるのではないか。そう思ったのです。もしも、私が完璧でまちがわない人間だったら、他の人と許し合うことができないからです。私もまちがいを許し、私のまちがいも許される、そういう経験ができること、それが不完全な人間であることの意味なのですね。だから私たちは、みな不完全でいびつな、まちがいをする人間として生まれるのかもしれません。

 私がミスをして、人に迷惑をかけたり、人の気分を害してしまったら、許される経験をする機会だと思って感謝しましょう。
 私が誰かの言動に腹が立ったら、これは許す経験をするチャンスが現れたと思って、喜びましょう。許し多分だけ、許されるのだとしたら、許すチャンスがいっぱいあったほうが貯金できます。だから、腹の立つ出来事にめぐり合うのは、ラッキーです。
 ということは、私がミスをして誰かの気分を害してしまったら、その相手にも許し貯金をする機会を与えているということになるではありませんか。そう考えれば、生きていくのがイヤになるほど胸を痛めなくてもいいと思えるかも。

 先週は、イースターウィークでした。イースターは、イエス・キリストの復活を祝う日です。「許し」はイエスの重要な教えでした。許し合う経験をすること、それがこの世に生まれた意味かもしれないと思いました。



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行動したい春 [雑感]

 子どもとの関わりが上手く回っているとかんじられるようになりました。母のいないせいかもしれません。   そこで気持ちのゆとりが出てきたのか、ファッションを楽しんでいます。一方で、着ることばかりにエネルギーを向けているのもいかがなものかという気持ちも湧いています。何か、もっと意味のあることにエネルギーを振り向けたい。ファッションを楽しむことは、今余っているエネルギーの2割もあれば充分な気がします。

 私のエネルギーの配分を分析してみます。あくまで、「私の感じるところの」であります。
 70%は、子どもたちのこと。(うち6割は幼稚園関係をつつがなく済ますこと)
 10%は、夫と過ごす時間。
 10%は、掃除、洗濯、食事作りなどの家事。
 10%は、ブログ書きや、テレビを見たり、編み物手芸にイラスト、おしゃれするなど。

 つまり、最後の10%の内訳を、より豊かにしたいということなのです。
 2%は、ファッションのこと。
 2%は、テレビを見たい。テレビ大好きなので。
 ブログ書きやイラストに費やすエネルギーを増やして、何か意味あることができないかなぁと思っています。かといって、私に書けることといえば、こんな程度のことだし。
 絵を描く方面でも、私に描けるものといえばプリキュアくらい。ちらっと育児漫画を始めたものの続かないし。ちーさんにせがまれて描いたプリキュアも、4人で打ち止め。ネットにアップしたところで、意味があるとも思えない。
 書きたい、描きたい気持ちを活かして、何かしたいんだけどな。

 でも、書くことや描くことの落とし穴は、他人の評価が気になってしまうことなのよね。私はすぐ、この穴に落ちる。
 私の考える「意味あること」ってなんだろう。そりゃ、人に高く評価されたり、喜んでもらえたら、意味あるような気がするよね。でも、それって他人軸じゃない?
 自分を軸にすると、「意味あること」ってなんだろう。自分が良い気分になったり、幸福感を感じることも「意味あること」だね。私にとってのファッションを楽しむことの意義はこれです。
 何かを学んでインプットすることは、ストレートに「意味あること」だけど、今は絵や文章を使ってアウトプットしたい。受け取りたいのではなく、与えたいというか。出したい。

 私が持っている、与えるに値するものってなんだろう。
 まがりなりにも、長いこと絵を描いてきたので、全く描いたことのない人よりは描ける。
 まがりなりにも、ブログをいくつか書いてきた。このブログも、一応ではあるけれど100記事は越えた。
 今までだったら、私程度にできる人はいくらでもいると思って、諦めるところだけど、それより何より今は、出したい気持ちが強い。自分を励まして、行動を起こしたい。
 そんな気持ちになっている春です。



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40代のヘアスタイル、私はこれでいきます! [雑感]

 結婚前からロングヘアでした。もともとひきこもりの私は、美容室で髪を切ってもらうことが怖いんです。ほっとけば伸ばしっぱなしのロングヘアになるのは簡単です。
 子どもを生んでもそんな感じで、切ったのは数回。一度などは、夫に切ってもらいました。子どもの髪を切るのがなかなか上手だったので、丁寧にやってくれるのかと思ったら、まとめたままジャキっとやられてショックでした。まあそれも、伸びてしまえばたいして気にもならず。
 それに結婚式を挙げそびれたので、いつか結婚式を挙げるまでは、せめて結婚写真を撮るまでは、切らないつもりでした。

 でも、久しぶりに切りました。春の訪れとともに何か心がモヤモヤして、髪を切ってみたらどうかと思ったんです。一冬着た変わりばえのしない服に飽きも出ていて、ここで服を買うより、髪を切るほうが物が増えずに気分が変わって一石二鳥ではないかと。
 ショートボブというんでしょうか。背中の中ごろまでの髪を、あごのラインまで切ってもらいました。私は面長ですが、面長にはあごラインのボブがいいらしいということで。これがすごくよかった!
 子どもを二人生んで40代になり、髪質の変化を感じていました。ツヤがなくなり白髪が増え、うねりが出てパサつきやすく、まとめ髪もボサボサがデフォルト。 ところがショートボブにすると、パサついて広がりやすくなった髪は、ボリュームが出てかえって良い感じに見えるではありませんか。るーさんを生んでから急激に増えた白髪もアクセントに見える・・・ことはないけど、本人としては満足です。
 ちなみに白髪は、授乳中ということもあって染める予定はなし。40代高齢ママなのを隠すこともないかと。

 また伸ばしっぱなしにすればいいやと、お試しのつもりで切りましたが、この長さこの切り方を私の定番にしようかというくらい気に入りました。美容室が怖くてまた伸びちゃうかもしれないけど・・・。その気になったときのオーダーの台詞は「あごのラインで、内側短く外側長めの二重構造で自然な内巻きになるようにしてください。前髪は弧を描く形で眉上まで切ってください」で決まりです!

 

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ピンク色への憧れ [雑感]

 年末年始と自分でも驚くほど、物欲というか購買意欲が湧きませんでした。子どもクリスマスプレゼントで頭がいっぱいだったせいかもしれませんし、単に忙しかったせいかもしれません。これは良い傾向とほくそ笑んでいたのですが、春の訪れとともにムクムクと新しいものが欲しくなってきました。

 目下、気になってならないのは、流行色のピンク。思えば年の暮れにも、濃いピンク色を着こなした女性が素敵に見えて、年明けにささやかな買い物をしました。ピンク色の靴下を。それで、私のピンクへの憧れは満たしたつもりだったのですが・・・足りない!もっとピンクが欲しい!今はそんな気分です。

 ピンクというのは、私にとって微妙な色です。好きだけど、身につけるには気恥ずかしい。でも、でも・・・。
 長女ちーさんは、いわゆる女の子色の赤とピンクが大好きな、わかりやすい女の子趣味です。かつては私もそうでした。でもいつの頃からか、それが恥ずかしくなって・・・。そんな女の子の気持ちをいまだに引きずっているようです。
 だ・け・ど、好きなの!

 今年の春は、ピンクが流行っているらしい。
 流行にかこつけて、かこつけて・・・ピンクを着たい。
 それは迷彩柄のバッグが欲しかったのと同じ理由。子どもの頃に満たしきれなかった願望を、今叶えたいということかも。

 私は来週、41歳になります。41歳の私に、ピンク色の誕生日プレゼントを・・・迷っています。


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たぶんオシャレは60代からが楽しい [雑感]

 もうすぐ冬休み。ちーさんの冬休みを前に、今日は私が楽しむためだけの外出をしました。今月も頑張ったもの。元気なるーさんといっしょだったので、なかなか大変だったけれど。

 そこで今日も見かけたオシャレなおばさま方。前回の記事で書いたのは、モデルさんかと見まごう美人さんでしたが、今日はどちらかと言えば普通の感じの人たち。
 最初に目を引いたのは、ネイティブアメリカンかというような、フォークロアなパンタロンに同系のトップスを合わせた、60代くらいの方。奇抜だけどヘンなかんじはなくて、実際新しい服なのか、古臭くもなく、かっこよかった。
 また、黒っぽいジャケットからポケットチーフの代わりに金の鍵のようなアクセサリーをのぞかせた70代っぽい方。一瞬で金色に目を射抜かれた感じ!
 それから全身黒っぽいパンツスタイルに、スカーレットレッドのスニーカーと帽子を合わせた白髪交じりの方。
 これみんな、フツーっぽいおば様方が着こなしていらしたから、さらにかっこよく見えたのだと思います。いくつになってもオシャレは楽しめる、いやむしろ、年をとってからのほうが楽しめるのでは?

 私は40歳。もちろん同世代にも、ずっと若い人たちにもオシャレな人はいっぱいいます。おしゃれだなー、素敵だなー、楽しそうだなーって思う人もいっぱいいます。
 でも、近くにある大学に向かう、ファッション雑誌からコピーしたような服の女子学生の大群とすれ違うと、痛々しさを覚えます。
 仕事や育児で忙しい30、40代の私たちも、忙しい中でも何とかオシャレしようという「頑張り」みたいなものが垣間見えるというか。(もちろんそんな感じのしない人もいます。憧れる~。)
 その点、60、70代の方のオシャレは、まさしく悠々自適。ゆとりが見えるのでしょう。自分のために、自分がしたいオシャレをしているかんじ。

 私もオンリーワンのおしゃれを楽しめるようになりたい。市井のオンリーワンなおば様方に勇気をもらいながら、自分のオシャレを手探りしてゆきます。

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40歳~これから目指す道~ [雑感]

 ちーさんが登園すると、ちょっとリラックスタイムを設けられるようになりました。とはいってもテレビ見ちゃうんですが。そんな感じでテレビを見ていたときのこと。
 50代~70代向け基礎化粧品のCMが流れたんです。60、70代の女優さんやタレントさんが、お肌の若さについて語っています。私はふと、違和感を覚えたんです。自分の心にフィットしない感じというか。それでよくよく考えてみました。
 端的に言って、「60、70代になって、お肌の若さを気にする暮らしを、私はしたくない」ということだと思います。

 一方で、街で出会った印象的な老婦人がいます。
 ハロウィンイベントで仮装パレードが行われたショッピングモール。私たちは見物しただけだったのですが、カフェで隣り合ったおばさまが魔女でした。控えめですが口に滴る血を描いて。そして一人でお茶している様子からしてカッコよかった。
 また今度は普通の日の街の中、モードなファッションに花柄の地下足袋(ファッションに疎い私にはそう見えた・・・)のようなものを履いているおばさまがいたのです。一瞬ですが、すごく目を引きました。
 お二人とも、きっと若い頃からおきれいにすることに慣れ、実際美人さんだったから素敵に見えたのかもしれませんが。私がお二人から受けた印象は、人生を楽しんでいるように見える、ということでした。

 お二人のように、ファッションを楽しめるならそれはそれでいいのですが、ファッションでなくてもいいのです。私が二人に見たのは、生きていることを楽しんでいるということ。
 40歳になって、50代60代の生き方についても考えるようになりました。私の進みたい道はどれだろう。ひとつ指針が見えた気がします。
 私は、お肌が若くあることへエネルギーを注ぐのではなく、自分が生きることを楽しむことにエネルギーを注ぎたい。何がそれなのかはまだ模索中だけれど。
 肌の衰えや白髪の多さが目立ってきた40歳。気にはなるし、若くありたいという気持ちもあるけれど、私にとってはそれよりずっと大事なことがある気がする。
 断捨離やミニマリズムに触れ、実践している現在、何をそぎ落とすか、何にエネルギーを注ぐか、考えるようになってきています。


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